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先日我が家でもクリスマスの飾り付けをした。こどもが生まれた年にもらった小さなもみの木がすくすくと大きくなって、今年は南側テラスの手すりの高さを超えるまでに成長した。これに銀のベルなどを飾り、夕方からはピカピカと光るサンタクロースの一連隊を楽しんでいる。こまごまとしたクリスマス関連の置物なども、いつの間にかたくさんたまってしまい、ダイニングのカウンターにそれらを並べただけで、あっという間にちょっとしたクリスマスコーナーができあがってしまった。 |
子供は来年から、縁あってカトリックの小学校に通うことになった。何度か訪れたその小学校には、正門を入ってすぐの場所にキリストを抱いたマリア像が立っている。それを覚えていた彼は、クリスマスの意味を次のように解説してくれた。「あのね、あの女の人はマリアって言ってね、その人が赤ちゃんを産んだお祝いの日がクリスマスなんだよ。」
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クリスチャンでない私は、毎年クリスマスのお祝いをどこかくすぐったく感じていたが、このように解説されると「それはまことにめでたい。」と素直に思えてしまうのだった。どうやら彼は、女性が赤ちゃんを産むこと一般のお祝いと解釈しているらしい。そこで今年はこどもとクリスマスソングを口ずさみながら、いそいそとかなり力を入れてクリスマスの飾り付けをしてみた次第だ。クリスマス飾りがすむと、何かこの一年ご苦労様!という気持ちがしみじみと沸いてきた。
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先日この小学校の入学説明会で、敬虔なクリスチャンである校長先生がとても良いお話をして下さった。「近江商人と三方よし」という内容で、豪商として栄えた近江商人の商道徳についての話である。彼らは卸の行商をして行く上で次のような商道徳を大変重んじていたとのことだ。すなわち売り手、買い手、世間、この三方にすべてよしとなるような商売に努めよ、という内容である。彼らは東北地方へ行商に行った帰りには、必ずその地方の特産物をたくさん買い付けて来るのが常だった。そして飢饉の時などにものの値段が上がっても、そのような時必ず相手は困っているのだから、そこにつけ込むような商売は決してしてはいけない。長いつきあいを重んじ、出来るだけ相手を助けるように努めよ。売り手と買い手が腹7分目くらいに節度を持った商いをすることで、お互いが満足し、そしてそのような商いの姿勢が世間からもよしと認められるということが何よりも大事である。小学校は集団の場であるから、自分と相手そしてクラス・学校全体のそれぞれがハッピーになるように工夫することがとても大切だということを、このお話を通して伝えて下さったのだ。 |
クリスマスの飾り付けをしながら思ったのは、どんな仕事でも 自分の満足感を腹7分目に押さえることがとても重要だということだ。年末のせわしない時期に、あえてクリスマスのような行事を祝う効用は、一年の仕事の内容を振り返り、「このくらいにしておこう。」と線を引くことではないか。
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